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通勤途上の総合公園では陸上競技やテニスの練習風景をよく見かけます。選手たちの洗練された技と力には、流れるような自然さがあります。それが樹林の朝日に映えますとまさに一幅の絵のようです。わたしはその美しさに陶酔し胸いっぱいの深呼吸をします。そして思わず活力を得たつもりになって一気にこどもの城への階段をかけ登ります。しかし悲しいかな・・・。老身の呼吸数はわずか数秒で千千(ちぢ)に乱れてしまうのです。
やっと到着したこどものまちゾーンには、移植5年めの木々がつつましやかに点在します。それぞれの名札には、一種の未熟さと可能性が混在するように見えるのも不思議なことです。これらが運動公園林並みのたくましさを具備するには、約30年の歳月を必要とすることでしょう。同じ意味での人の成長過程にも時の流れの重みは明明白白の事実です。開園時に生まれた子も今、5歳の節目としての発達課題と懸命に向き合っています。誠に感慨深いところです。
昔日より「3つ子のたましい百までも」とのことわざがあります。これは発達初期としての5年間の生育史には、重要な3歳児期があることを提起しています。この期の精神発達は、・第1反抗期・自我の芽生え・自己主張・わがまま・自立(律)心・母子分離・分離不安などと深く関連し合います。それだけに3歳児期を中核とする心と身体の調和的発達は、その後の長い人生に甚大な影響を与えること必至です。この場合の心とは、思いやり、辛抱、やる気の問題です。が、これらの基礎づくりは最も適期である幼児期においてこそなされなければなりません。
今一度、先ほどの運動公園にかえりましょう。ここの路上で出会う運動選手の絶対多数は、見ず知らずのわたしに対して「おはようございます」とのさわやかな挨拶を送ってくれます。まさしく健全な精神は健全な身体に宿るとは、未来永劫にわたる不変の真理であります。人間形成の到達点もかかってこれに尽きるといっても決して過言とはならないでしょう。申し上げたいことはただこれだけのことです・・・。だが現代教育の悲劇の1つは、心と身体の乖(かい)離性にあります。
それだけに本園では身体ごとで走る、跳ぶ、転ぶ、泣くなどの数多い生体験を通しながら、健全な心の根底には健全な身体が横たわることを、ただひたすらに見すえ体得させたいわけなのです。
平成15年2月1日
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